2015.11.12 神無月朔日
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今日は陰暦十月一日、神無月朔日、近所の柚子(ゆず)もすっかり色付いた

茶人の正月と云われる「開炉」、すなわち「炉開き」の時期になってきた
立冬を以って炉開きとされる方が多いようであるが、少々違うようだ
一般には「柚子の色付く頃」とも云われているが、まま、遠からじである
つまり、炉を開く日を歴に合せなくとも時季の頃合いで、ということだろう
しかし、世の慣習は小理屈屁理屈が付き、何時しか決まりごとになるもの

暦としての開炉は、陰暦十月一日(神無月の朔日)とされている
それが、江戸時代に亥の月の亥の日を選び「火の物」を出す風習が庶民に拡がった
囲炉裏(いろり)や炬燵(こたつ)を開いたり、火鉢を出したりということである
亥は陰陽五行説では水性に当たり、火災を逃れるという信仰に基づくものだとか
茶の湯の世界でも、この亥並び日を炉開きの日とするところも多いようだ
そして、亥の刻に搗いた「亥の子餅」を茶菓子に出す慣習もある

本来を云えば、この亥の話は、我が家の隣町「押熊町」に由来する話である
仲哀天皇亡き後、神功皇后と皇子(応神天皇)が新羅から大和に凱旋する時の話
先帝の先妻の子であった麛坂(かごさか)皇子と忍熊(おしくま)皇子が反乱を企図
その戰の吉凶を占うため、摂津の能勢で山狩りをすると大きな猪が出たという
その猪に麛坂皇子は殺されて、ビビった忍熊皇子は大和へ逃げ帰ったとされる

神功皇后軍が大和に入り、忍熊皇子は平城山から山背の宇治を抜け近江へ逃げた
琵琶湖の畔、瀬田の川原で殺されたと日本書紀・古事記にある、先日の我々の道だ
結果として能勢の猪は子沢山の意も含め、皇室では吉兆の印とされたという話
源氏物語に能勢から「亥の子餅」が皇居へ送られる話が記されているという、
我が隣村「押熊町」では麛坂皇子と忍熊皇子の霊地を作り、村人が二人を祀っている
この押熊町の南に接するところに、大きな神功皇后の御陵が拡がる
歴史の慈悲とは、当人が死んでからという話が多い気がする
死にさえすれば神にも仏にもなれるが、扱いによっては怨霊にもなるというもの
それは後世の者が祀り方如何、私は神も仏も望むべくもない・・怨霊になってやろう

ところで閑話休題
今年の亥の月の最初の亥の日とは、新暦今年の十月十八日、亥の刻とは午後十時頃
我が朋庵では一日に炉作りを終え、十五日に炉開きと口切りをする予定
そして、亥の日の十八日には我が家の炬燵を出そう、電気炬燵だが

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