この二日ほど「朝鮮人慰安婦問題の合意」が喧しい、合意文書はないという
どうせ動くゴールコートであろうが・・、つい思い出すのが「拉孟守備隊の娼技」
昭和十九年六月二日から九月十四日までビルマ奥地と雲南を繋ぐ戦場の秘話
そのことを示す記事を二・三抜粋してみた

「拉孟(ラモウ)に散った花」。これは、中国の雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近「拉孟」で、五万人もの敵兵を相手に、僅か千三百名の将兵で百日余りも戦い、玉砕した「拉孟守備隊」の戦記であるとともに、「慰安婦」の物語でもある。実は玉砕した守備隊には、二十名の「慰安婦」も含まれていたのであった。
この地が激戦となる前に、彼女たちを脱出させようと苦慮した守備隊長・金光恵次郎(野砲兵第五十六連隊第三大隊長)に、「私たちは拉孟守備隊の母であり、妻である」として、脱出を拒んだ彼女たちは、守備隊の一員として戦い、五名の朝鮮人慰安婦だけを逃がし、全員が拉孟の花と散ったと言われている。

少しでも敵を釘付けにすることが目的の戦いであり、武器も無く、傷痍の中で日本兵の戦い抜いた、ただ「死」のみが戦闘の終結を意味していた。この日本軍の戦いぶりは、敵の総司令官であった蒋介石をして「諸子はビルマの日本軍を模範とせよ」と言わしめ、これが敵将からの「逆感状」と呼ばれたのである。そして、「拉孟守備隊」は強いだけではなかった。「慰安婦」たちをどうにかして助けたかった男たち。その男たちを見捨てることは出来ないと、軍服に着替え、看護や物資の運搬に奔走した女たち。また、五人の「朝鮮人慰安婦」を脱出させたことも見逃せない事実だ。

玉砕したのは、いずれも日本人「従軍慰安婦だ」ったが、彼女らは死ぬ直前
「あなた達は何も日本に義理だてすることないよ」と「朝鮮人従軍慰安婦」に投降をうながし、
ある者は自ら(※原文は「自から」)死ぬ勇気がないからと将校に拳銃で射殺してもらい、
ある者はわざと敵弾の中に身をさらして自決していった。

投降した中の一人が、あの悪名高き「女性国際戦犯法廷」において「日本兵の自決の巻き添えになるのを恐れ、逃げ出した」「私たちは置き去りにされた」と証言している。「逃げた」のか「逃がした」のか、その論議はあまりにも虚しい。ただ、彼女たちを死なせなかった「日本人慰安婦」を含む守備隊兵士たちの「優しさ」に敬意を表するのみであり、また彼等の慈悲を踏みにじるような所業には、怒りを通り越し、憐れみすら感じてしまう。しかし、そんなことよりむしろ、守備隊と共に戦い、玉砕した女性たちは、その時すでに「慰安婦」としてではなく、まさに「兵士」として最期を迎えたのであり、彼女たちは靖國に祀られたいと願ったのではないか、という思いが頭をよぎる

雲南で玉砕・散華した朝鮮人「慰安婦」について言えば、今や無言の彼女たちと、いつまでも「恨」に囚われ、叫び続ける元「慰安婦」との対比では、その評価を歴史が下すことになる。
儒教と科挙の歴史で形成された文化は、修辞が発展しすぎ、舌先三寸のずる賢さを賢さと見なし、正直者がバカを見る偽善を助長した(アジア的停滞)。愚直で騙されたが、その運命を受けとめて実直に頑張った純情で一途な生き方を省みず、恨みつらみを言い続ける者を殊更に取り上げ、政治や外交に利用・悪用することは、「恨」というコンプレクスを歴史や伝統にして、民族を傷つけ不幸にするだけである。

拉孟陣地内で自決した日本軍守備隊(米軍撮影)、中に二人の女性の死体があったとか、労しい
(写真は元旦未明に削除したが、近日再掲載する)
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