2016.01.20 給食・喫食去
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ウメ(梅)、学名:Prunus mume、英:Japanese apricot、バラ科サクラ属

先の稽古日に卒塾者が持って来られた梅の枝、花が開いた
昨夜から風が強く、外の体感温度もこの冬最低とかいう天気予報
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
菅原道真の云う東風とは和らかい風であろう、今日の風では花は縮込む
紀南農業高校、今の和歌山県立南部高校の園芸科で作られた南高梅
梅そのものより、梅干として全国的に有名である、事実、大きくて旨い

梅干むすび、或いは日の丸弁当という飯に梅干一個は昼飯の定番だった
しかし、昔にはそんな弁当も持って来られない児童、欠食児童が居た
私の小学校低学年の吉野では、昼飯時間になると教室を出る子が二・三人居た
家に帰って食べると云うが家は遠いハズだった、皆も知っていた、欠食である

当時は、吉野の小学校でも「給食」が始まり出した頃である
給食と云っても、何人かの母親が当番制で芋入り味噌汁を作るだけのもの
完全給食とはならず、皆は自分の弁当箱の蓋に味噌汁を注いでもらっていた
母親達にも欠食児童のことが分っていたのか、それとも教師の思いからか
「家に帰る」と云う児童に、調理室で芋が多めに入った味噌汁を食べさしていた

明治二十二年、山形県鶴岡町の私立忠愛小学校でおむすびと漬物を出した
欠食の貧困児童を対象にしたもので、これが我が国の学校給食の起源とされる
学校の経営は僧侶、まま寺小屋の名残りということであったろう
そして、広がり始めた給食も戦争中の食糧難で中断、欠食児童が復活
昭和二十二年の今日、一月二十日がララ物資の学校給食が始まった日である
ララ物資とは米国から戦争被災国へ送った救援物資で、当初は欧州向けであった
それを米国の日系人が主体となり日本向けに送ったことで、給食の食糧となった

始まった当初は全国主要都市の300ヶ所で、吉野の山中にはその恩恵が無かった
私が四年生で奈良の小学校に転校して、一番驚いたのは「給食」であった
コッペパンにカレースープ、そしてミルク(脱脂粉乳)が出された、私は唖然
皆が教室で一緒に食べている、欠食者は居ないが給食費未納という言葉も知った
給食の対語は喫食である、喫食と摂食とは意味合いが違うそうな
喫食とは食を楽しむこと、摂食とは生きるための食で欠食の対語となろう

今にして思えば、欠食児童も辛かったろうが、その親も辛く切なかったろう
この地球上にはまだまだ欠食児童が居る、そのこと重々知っておき度

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