2016.03.22 栃木・下野草
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下野草(シモツケソウ)、バラ科で小手毬(コデマリ)や猫柳(ネコヤナギ)の仲間、
その園芸種が京鹿の子(キョウカノコ)、下野とは今の栃木県である

先のブログ「家庭教師・オンドラ」の記事で、思いがけぬ女性からの電話を受け取った
いきなり、「ナオトちゃん、お元気?」、十数年ぶりだが特徴ある声と言葉で分った
学生時代にお世話になった下宿先の妹御、私より一つ歳上でそれなりの美系だった
十数年前も、「ナオトちゃん、お元気、近くまで来たので・・」という電話であった
その時は下宿の主人、つまり彼女の兄夫婦と彼女の伊勢参りバスからであった
関東の人間からすれば伊勢と奈良は隣同士、近くまで来たからと云えんことはない

私が初めてする東京独り暮らしの場所が、彼女の兄の下宿屋であった
二階に三畳の下宿部屋が五つ、一階に台所と兄夫婦の六畳部屋、妹の三畳部屋
下宿代は月に畳千円の三千円、風呂はなかった、後に歌われた「神田川」の世界
近くの風呂屋の女将は美人で行くのが楽しみであった、でも懐具合で週に一度程度
下宿の主人は栃木から東京に出て来て就職し、舞台衣装の職人になった
彼は二十七歳で結婚、その下宿屋を購入して妹も呼んだという頑張り屋であった

私は金銭不足から下宿代が滞ったが、主人は催促はしなかった
そこで私は、出来上がった舞台衣装を劇場や劇団へ届ける役目を買って出てていた
芝居の稽古が終わるまで舞台で待つことがあったが、マスコミ記者が話しかけて来た
私は好き勝手を云うのだが、関係者とでも思っていたのか、やたらとメモを執ろ
その中に、何となく下宿の夫婦・妹の食事に私も加わるようになる
何のことはない、下宿というか寄宿ならぬ寄生生活になった次第

青春ドラマでは、私と妹との間に何らかが生じるハズだが、哀しいぐらい何も無かった
私より背が高く快活であった彼女は、「ナオトちゃん」と私を呼び、弟扱いしていた
栃木の実家は梨栽培の農園で、その農繁期の十月頃に私一人が手伝いに行かされた
実家にはご両親と長男夫婦がおられ、何の誤解があるのか私は結構大事にされた
最初の食事の時である、小皿に菊の花の漬物が出た、私は初めてなので皆喰った
父親がそんな私に、「菊が好きか?」と問うたので私が頷くと、次から毎食丼一杯の菊
初めはそこそこ食べたが、段々と菊の塩分が脳ミソに溜り出し、食事が拷問になった

私が学校を辞め、畿内に帰った後も下宿の家族は心配をしてくれ、妹が奈良まで来た
彼女は奈良の我が家に泊まった次の日、私と二人で伊勢神宮まで出掛けた
今となっては明確に理由を思い出せないが、二人は参道を歩きながら不幸な出来事に
微かな記憶では、参道は中央が高く両側が低くなっていて、彼女はその中側を歩いた
周りのアベックが腕を組んでいたので、私が「ワシらも組むか」と云った時の彼女の言葉
「嫌やよ、私がナオトちゃんをぶら下げて歩くようで恰好が悪い」、私はムカ💢!

それから二人は喧嘩、神宮の中に入らずに私は奈良へ彼女は東京へ向い、それっきり
巷の話ではお伊勢はんは女の神、男女が仲良くすると嫉妬で祟るとか、ホンマかどうか
彼女もそのことを覚えていて、十数年前の伊勢参りのバスから電話をくれたようだ
そして今回の電話は、ブログに支店長の両親が「栃木」とあったので噴き出したとか
暫し想い出話に花が咲いたが、伊勢での喧嘩の話は二人の間で少し食い違っていた

私のアルバムの中には彼女は居ない、彼女の写真は女房殿が破り捨てていた
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