2016.03.30 アリのパンチ
無題
アリはんからコメントが寄せられた
現役の頃を彷彿させる鋭いパンチである

名前:モハメド・アリ
********************
>すっかり読んだ気にさせられた書評ゆえ、俄然、積読となる可能性が膨らみ、教導者のドクターKに対し若干の後ろめたさを覚えつつ、優等生のノートを借りた学生の気分に。さて「働く蟻と休む蟻」の割合は、総兵員数の3割を前線に出しローテーションさせる軍隊の運用を思い浮かべ素直に納得するも、齢間分業の話で解らなくなったのは蟻ではなくヒトの方。蟻の齢区分に「老人」はなく「幼・少・大人」の3区分。それをヒトは「大人」を更に区分し「老」を創り出している。その「老」は蟻のように危険な仕事を担うわけでもない。はて、、本来的に何かを託されたから「老の概念」が創出されたのではないか、と。その解を知るのは少々怖いことかいな、とも。<
********************

乳が出なくなった「廃乳牛」や卵が産めなくなった「廃鶏」は、共に「肉」になる
自然界でも生殖能力と捕食能力が失われた時点で、死出の道「老」となる
「老」が担うべく役割りとは「早期の死」だけであろう
産卵して死を迎えるシャケ、子供の餌となるカマキリ、そしてセミやカゲロウ
子孫を残すことが生物における最大かつ最終の目標だということだろう
したがって、死んでいくものの殆どがその子供の何らかの助けになっている

ところが、今の人間社会、親の延命に係わる子供に疲労困憊を生み出している
親の介護の時間的・金銭的な束縛で、子供の将来に暗い影響を与えることもある
須らく、老人の延命治療は宇宙の神に背き、子孫繁栄に仇為すものとなろう
老人の死を見守り、苦痛を取り去り、やさしく見送ることが自然の掟であろう
もし別の役割りがあるとするなら、子供の意識から「死」を遠ざけることかも知れない
ただ思うことが一つ、親の死と伴侶の死は違うものということ
老人の死に際して、その子供は感謝して見送り、その伴侶は延命を願うのが自然

やれやれ、鋭い突っ込みをくれるアリさんである、歴とした「働きアリ」かも






スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/929-890dc533