2016.04.23 奈良の八重桜
昨日は雨が上がったので、愛犬「ハナ」の散歩に女房殿と出掛けた

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裏の神社の八重桜、秋篠川土手道の染井吉野はすっかり青葉になっている
桜の最後を飾る「奈良の八重桜」は奈良の県花で市花、天然記念物・学名「奈良の八重桜」
「犬を入れるな」とあるので、「ハナ」を連れてはこれ以上入ることが出来ない
奈良観光誌によると

> 奈良時代、平城京では、柳や桜が数多く植えられていましたが、ある時、三笠山(現在の若草山)の奧、「鶯ノ滝」辺りで、第45代聖武天皇が八重桜を見つけ、それを宮中に移し植えたら、咲いた花が余りにも美しく珍しいので、光明皇后をはじめ、宮廷人に大いにもてはやされたと言うことが、江戸時代の始め、1678年(延宝6年)大久保秀典、林伊祐らが書いた「奈良名所八重桜」に載っています。

 そして、都が平安京に遷って第66代一条天皇の時、藤原道長の娘で、紫式部らの女房にかしづかれていた一条天皇の中宮・彰子が、興福寺の境内に植わっていた八重桜の噂を聞き、宮中の庭へ植え替え様として、使いをやり荷車で運び出そうとしたら興福寺の僧が追って来て、
「命にかけてもその桜、京へは渡せぬ」
と云ったので彰子も断念し、それから毎年花の頃に「花の守り」を遣わし、今でも伊賀上野には「花垣の庄」と呼ばれる花守の子孫がいて、「奈良の八重桜」を霊木として守っておられます。

 また、それから一条天皇の時、奈良の八重桜の一枝が宮中に献上され、その年の花の受取役、伊勢大輔(いせのたいふ)が、その花を見て詠んだのが「詞花集」から「小倉百人一首」第61番に載せられたかの有名な次の歌で、

 いにしえの 奈良の都の八重桜 けふここのへに 匂ひぬるかな <

「ここのへ」は、桜の花びらが八重、九重と重なっている様と、禁中(宮中、九重)の掛詞、
この話、NHK「歴史秘話ヒストリア」の「日本人と桜の物語」でも取り上げられたとか
まま、「命にかけてもその桜、京へは渡せぬ」、とは奈良人の心を示す言葉であろう
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