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我が家の玄関横に今年も芽を出した高砂(台湾)百合、茎の太さは百合のものではない
去年は三メートル近くまで成長し、白く美しい花を咲かせたのでご近所にも知られ存在
不思議なことに、この一本から殖えた子供の百合は皆普通サイズの高砂百合である、

台湾映画「KANO]、曰く「海の向こうの甲子園」で台湾出身の金美齡,女史の講演
一人の台湾人ラガーと森元首相の話があった、柯子彰(かししょう)氏のことである
ネットで調べてみると、金女史の講演内容が出ていたので少々略して紹介する

> 実はほんの一両日前、台湾の李登輝前総統の訪日ビザがやっと出たところであった。それまで李さんは総統時代の12年間を通じて3回、引退してから 1回、都合4回にわたって訪日希望を表明してきたが、その都度日本の一部政官界によって実現を阻まれてきた。この平成13年にも心臓病治療のために訪日ビ ザの申請をしていたが、時の外務省アジア太洋州局長は、ビザ申請などないと大嘘を吐いてまで李さんの希望を闇に葬ろうとした。幸い事態を知った森首相のツ ルの一声でこの陰謀は喰い止められ、この台湾切っての親日家は16年ぶりに日本の土を踏めることになったのである。偶然にもその直後の観桜会に招待されて いた私は、ここで森さんに知らぬ顔はできない、黙っていたら台湾人として女がすたる、と思ったのであった。

 警護陣に囲まれて私は、周りに聞こえるよう大声を張りあげて、「森さーん、李登輝さんのビザどうも有難うございましたー」とやった。森さんは一瞬驚いたようだったが、すぐに破顔一笑、「いつもテレビ見てますよ」とお愛想まで言って下さったのであった。
その森さんが台湾を初訪問するとのニュースに私は落ち着かなかった。中国の一顰一笑を気に病み、汲々としてその顔色を窺うことを能事とする昨今の 日本政界の空気の中で、森さんのこの信念に満ちた行動はまことにすがすがしく爽やかに感じられる。私はそういう人が好きなのだ。そういう訳で私は、今度は 飛行機を使って、またまた森さんの"追っ掛け"をやることになったという次第である。

 12月26日の夜、早稲田と慶應の台湾同窓会が共同で主催した森前首相歓迎会に出席した。2011年のワールドカップ・ラグビー世界大会を日本に 誘致するため、アジア各国に支持を訴えるのが訪台の趣旨だとのことで、森さんの一行の中には早稲田の日比野弘元監督や慶應の上田昭夫総監督などの顔も見ら れ、和気藹藹の盛会だった。なかでも、森さんが来台当日どこよりも先に台湾海峡に臨む淡水の町にまで出掛け、故柯子彰(かししょう)氏の墓参を済ませたと いう話はとりわけ台湾人の胸を打った。柯氏とは知る人ぞ知る、台湾が生んだ不世出の名ラガー。14歳で同志社中学に留学、同校ラグビー部部員として3年連 続全国制覇に貢献。早稲田進学後の昭和5年、初結成の日本代表の一員としてカナダで六勝一分。同8年早大主将として全国大学大会で優勝。翌9年には日本代 表チームの主将としてカナダに遠征、その名を全国に轟かせた。戦後すぐ台湾ラグビー協会を設立、台湾ラグビーの指導に生涯を捧げた。

 柯氏は森さんの御尊父とは早大のラガー仲間であった。御尊父逝去の前後には台湾から駆けつけて病院に見舞い、葬儀に参加したのだという。
「ところが柯さんが亡くなった平成13年、私は総理をやっていて台湾には行けませんでした。それがとても心残りで、いつも申し訳ないと・・・」
そこで森さんの声は少しくぐもったのであった。私はそこに、信義に堅く人情に厚い、今どきもうあまり見られなくなった伝統的な日本の男を目の当りにする思いだった。<

と、あった、
私が聞いた今回の金女史の講演も概ねこんな話であった
それが、私の知人の追憶譚に繋がった
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