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卒塾者の方からまた山紫陽花を頂いた、「紅・くれない」というとか、向こうが「七段花」
もう少し経つと、この山紫陽花はその名の通り「紅・くれない」に色づくという、楽しみである

実は、先の写真・勧修寺の蓮の記事を見られて卒塾者は来られたのであった、仰るには
「我が家の蓮をお取り上げいただきありがとうございます。蓮は20年程前に山科の勧修寺へ参った折に『ご自由にお持ち帰り下さい』の札につられて貰って来たものです。私の滑舌が悪く山科⇒→山梨?申し訳ございませんでした。」
私は、「いえいえ、私の耳もボチボチ傷んできております故のこと、お気を煩わして恐縮です」
卒塾者が本貫の地・山梨へよく行かれることを知る私の「思い込み」による早とちりである

私は、自分の思い込みが強い方であり、これまでもよく失敗をする
先の記事にした他流を招いての茶会で自流当代家元の軸を床に掛けることの是非
とある流儀の高弟に聞くと、それなりの話であった
「自分が習っている流儀の師匠や当代家元の軸を床に掛けるのは弟子として当たり前、
その思いを他流の方々にも知ってもらうのが流儀の弟子の心得というものでしょう」

成るほど、そういう考えや思いもあるのかと、私は妙な納得(?)をした
然しながら、私の思いとは何かしら違うものがあり、心から納得はできないまま
よく云われる理解出来る(understand)と納得出来る(agree)の違いであろう
然しである、法要茶会副席で広島の先生方が当代宗家の軸を床に掛けたこと
その是非について、私は当代宛に手紙を出している、勿論「非」としての苦情である
どうも言わずもがなで良かったのかも・・、これで復々嫌われるハメになろう

因みに、勧修寺の寺名のこと
「かんしゅうじ」「かんじゅじ」などとも読まれることがあるが、寺では「かじゅうじ」
一方、山科区内に存在する「勧修寺○○町」という地名の読み方は「かんしゅうじ」、とか
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