2017.06.18 洋ナシの梨園
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瓢箪の様な洋ナシ、7割はラ・フランスと呼ばれている種類だとか。

梨園という芸人社会があるそうな。歌舞伎の家柄がどうじゃこうじゃという輩である。
前に中村七之助や市川海老蔵とやらいう、若いアホ役者が警察沙汰になった。
歌舞伎役者の家がやんごとなき名門の血筋、貴種とかと大きな勘違いしておる連中。
歌舞伎芸人の出自は河原者(かわらもの)、曰く非人という賤民集団がその祖。
彼らの生業は屠畜や皮革加工で、河原の周辺に居住していたため河原者と呼ばれた。
屠畜や皮革加工には大量の水が必要だからだというのが通説である。
河原者は河原乞食とも云われ、芸能、行商などにも従事していた。
私は屠畜や皮革加工の職に偏見を持つ者ではない。
出自に引け目を持つ集団が、歪んだ身分意識で己を高ぶる根性が好かんだけ。

こういうことを云うと必ずヘイトが云々と喧し昨今であるが、そんなことは捨て置く。
今日の話は緋牡丹お竜、藤純子(ふじじゅんこ)の娘のことである。
藤純子、本名は富司 純子(ふじ すみこ)は和歌山県御坊市出身。
梨園に嫁ぎ、歌舞伎役者の夫の姓で寺島 純子(てらしま じゅんこ)を名乗る。
平成19年に紫綬褒章受章。平成28年春の叙勲で旭日小綬章を受章。大女優だ。
思うに、同じ歳に吉永小百合・松原智恵子がいる。彼女たち、未だにええ女だ。
それが、お竜の娘の寺島しのぶがフランス人と一緒になったと聞いた。
その紅毛人との子・男児を歌舞伎の家、つまり梨園の後継ぎにしたとのこと。
河原者と皇室を同列で云々するなんぞ以ての外、とは重々承知ながら杞憂がある。
ミーハー女や能天気男が、この話を以て女系天皇の容認を声高に云い募ることだ。
梨園が洋ナシになろうとも、万世一系の皇統に女系はあり得ない。

2017.06.17 受け入れる
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ベッドのある部屋と厠・洗面所の間の廊下を松葉杖で行き来する妻。

二本足を常態とするのは、数多の動物の中でカンガルーと人間ぐらいであろう。
最初は4本、次に2本、やがて3本の足になるのは?というトンチ話もあった。
勿論、人間の一生のことを例えた話で、3本とは両足と杖のことである。
女房殿も松葉杖との生活がもう10日となり、緩々歩きながら大分受け入れた様子。
私が云う「やはり、動物は四つ足が自然なんやな、二本足の形態は無理があるな」
女房殿も「ホンマや、常は横たわり、動く時は四本足が安心で楽やわ」
私はつい、「怠け者の講釈」と思ったが口には出さない、お三度は私が用意し運ぶ。

それにしても全盲の我が愛犬「ハナ」、立派である。心を打たれることがある。
見えなくなった当初は、彼方此方にぶつかったりして見ていても辛いものがあった。
しかし最近では、自分の身の置き場や動き方に一定の工夫が出て来た。
見ていると、「運命を受け入れる」というものがハナに感じ取れ、切なくも感動する。
まま人生、「運命を受け入れる」しかないと実感する今日この頃。
2017.06.14 時効
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三年前に挿し木した下野草が細やかな花を付けた。下野(しもつけ)、今の栃木県である。
そう云えば今は昔の話、東京の下宿の御主人は栃木の人、妹も当然の栃木の人。
その実家は梨農園、私は秋の収穫時期に十日位手伝いに行った想い出が残る。
この歳になると、想い出の積み重ねが人生と思えるようになって来た。
私が東京を去った後、彼女は奈良の私の実家まで来たので京都や伊勢を案内して歩いた。
伊勢神宮の参道を二人で本宮に向かっていた時のこと、向うからアベックが腕を組んで歩いて来た。
私は云う「ワシらも腕を組もう」、彼女「嫌よ、格好悪いモン」、ムッとした私は「何やて」。
状況を云うと、参道は道の真ん中が盛り上がった蒲鉾型、彼女が中側を私が端側だった。
彼女は云う、「だって、私がナオトちゃんをぶら下げているみたいでしょう」。
彼女は168・5㌢47㌔、私は162㌢73㌔。まま、その感も云えなくはない。
彼女のその一言が気に障った私は、「ほんならもうええ、帰ろ」と踵を返した。
伊勢志摩線の乗り換え駅から彼女は名古屋へ、私は奈良へ黙ったまま別れた。
それから一度も会ったことがないが、五年程前に突然彼女から電話が入った。
「今、兄さんたちとバスツアーで伊勢神宮に向かっているの、ナオトちゃんお元気?」
爾来、たまに電話の遣り取りをするようになったが、彼女の云ったこと面白かった。
親族が集まる中での私の電話、中学生の孫娘が「おばあちゃんのボーイフレンド?」
あれから半世紀、どういう婆さんになっているのか・・。
たった一枚アルバムにあった彼女の写真、結婚時に女房殿が切り裂いていた・・。
法改正で時効が延びたと聞いたが、どうなんやろか。
2017.06.13 6月6日のこと
6月6日、女房殿が足首を骨折した日ながら、思い出深い日でもある。
40年前の広島で私が居酒屋チェーン店を志し、「野武士」出店をした日でもある。
産経抄に6月6日が紫陽花の日であることに梅雨入りが重なったとあった。
そして日本原産である紫陽花の原語が「あづ さあゐ」であるとの薀蓄披露があった、
「あづ」とは「集まり」の「あづ」、「さあゐ」とは「小さな藍色」を意味するとか。
前に卒塾者の方から頂いた紫陽花の原種・山紫陽花が今年も花を付けた。
確かに小さな藍色の花が可愛く集まって咲いている。梅雨に映る花である。
女房殿にとって、紫陽花が一番お気に入りの花である。
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鹿児島の知覧、大戦末期に陸軍航空隊の特攻基地となった場所である。
神風特攻隊は海軍用語、陸軍機の特攻部隊は「振武隊」、機は「隼・はやぶさ、疾風・しっぷう」。
昭和20年6月6日、その日20歳の誕生日を迎えた宮川三郎軍曹、富屋食堂の鳥浜トメに云う。
「母さん、いよいよ出撃命令が出ました」
「母さん、お世話になりました。お国の為に見事に散ってまいります」
「そして、また母さんのところに帰って来たい。そうだ、このホタルだ」
「私はホタルとなって、母さんのもとに帰って来ます。ホタルを見たら私だと思ってください」
6月6日の夜9時の時報がなった頃、一匹の蛍がトメたちの部屋に入って来たという。
孫の運動会の6月9日、娘婿が出してくれた焼酎は知覧の「華蛍」。この時期の限定品とか。
この焼酎瓶の裏には、宮川三郎軍曹のことが記してあった。
私は一人ちゃぶ台に坐り、コップで飲む。
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特攻機を見送る知覧女学校の生徒、花を手にして振り続ける姿と出撃する搭乗員。
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2017.06.12 人の為
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卒塾者から差し入れの手作り鯵寿司、女房殿と二人で有難く頂いた。
足首骨折の女房殿と盲いたる愛犬「ハナ」の介護生活が続いている。
骨折の明くる朝に、鮨屋を閉めた友人から電話があったのでその話をした。
すると彼は「暇やから今から行く、待っとき」と云って電話を切った。
2時間程で食品が詰まったレジ袋四つを持ってやって来た彼は早速に台所に立つ。
「はい、朝飯」、きざみうどんが出た。「うどん玉が15円やったので15玉買うた」云々。
蒲鉾・青ネギ・天かす・油揚げも買うて来ていた。気が利くと云うかトコトン世話焼き気質。
昼はモヤシ焼うどんであった。モヤシ4袋と豚肉も買うていた・・・。
そして彼は云う、「人の為は、偽りと云うんやで」。亦云う、
「姥捨て山がホンマの人の為、孫もひ孫も一緒に居たら、昔の人はそうした、延命はアカン」
私は妙に納得、ビールと焼酎を注ぐ。ホンマ、この男の頭の構造は何時も乍らオモロイ。
彼はその夜は泊まり、次の日に娘夫婦が来たので「風炉の灰押し」を手伝い帰って行った。

下の写真がその風炉。真っ白い牡蠣灰は元塾生の陶工が牡蠣殻を焼いて作ってくれたもの。
1200度で焼いて潰し、三度ザルに通し細かくしてくれたので灰押しがやり易くなった。
牡蠣灰の潰し加減と灰押しの具合との微妙なところを私は初めて知った。
牡蠣殻の焼き具合と灰の潰し加減を知る茶人は少ない、と云うか恐らく皆無であろう。
きざみうどん、牡蠣灰、鯵寿司、[真心の人の為」は「偽り」ではないということである。

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